転職しよう!
将来に不安を感じる転職事情を打開せよ!
天職を求めての転職
家庭の事情もあって、高校卒業と同時に社会人としてスタートした。といっても、順調だった訳ではなく、普通高校だったこともあって、少ない求人から受けた民間企業は2つとも不合格。見かねた親が、区役所から市職員採用募集申込書をもらって来た。30年前の当時は「公務員」という響きはダサいと同義語だった。クラスメートは進学するか、専門学校に進んで、「キャリアウーマン」になるべく、外資系企業に入社するのが憧れだった。晴れて市職員になれた後も、職場のおじさん達に囲まれて、ヤボったい制服を着て、来る日も来る日もお茶くみ・コピー・庶務に明け暮れる毎日。仕事に張り合いが持てないと私生活も楽しめない。進学した同級生の大学祭に毎年出かけて、同世代のキャンパスライフをうらやましく思う事もあった。25歳のときに一人暮らしを経験したのをきっかけに、自立心が芽生え、仕事にも欲が出始めた。女性が一生続けられる仕事で、専門的な仕事として栄養士を目指そうと考えた。カロリー計算だけでなく、調理にも困らないようにと夜間の調理師専門学校に通い出した。目的を持って毎日を過ごすようになると、区役所での毎日の時間がもったいないように感じられた。決断するなら今かなと思い、かなり周りに反対されたが、押し切って退職。心機一転の意味もあり、専門学校を休学して、北海道の農場の住込みアルバイトに応募した。今考えるとかなり大胆で無謀な行動だが、役所勤めの経験しかない自分の意識を変えたい気持ちが強かったと思う。それと食に関わる仕事なので生産現場を知っておきたいという気持ちもあった。乳牛の世話と何haもある農地の耕作、種蒔き作業で、北海道の農繁期は短いのでフル稼働である。朝5時起きで夜8時頃まで働く生活で、住込みなのでプライバシーも保てない。ひと月経つ前に次々とバイトの男の子達が辞めて行き、私もついに40日で音を上げた。いったん気持ちが萎えるとやっぱりモロい。何とか半年間の休学期間は北海道に残ろうと、求人誌で見つけた飲食店の住込みバイトを始めたが、板前気質の主人と上手くやって行けない。しまいには、何でここにいるのか目的が分からなくなった。失意を抱えたまま、帰郷する列車の中で、寝ている間にお金まで取られてしまったが、腹を立てるエネルギーも残っていなかった。専門学校には復学し、病院や社員食堂の調理のバイトを始めたが、実際の栄養士の仕事を目のあたりにして、不安になった。調理師と協力しながら、ときには指導していく立場で、一日三食の献立とカロリー計算に追われる毎日。悠長な気質で人とのコミュニケーションに自信がない自分に務まるとは思えなかった。「もったいないことをしましたね。」と学校長に言われたが、専門学校を中途で退校。天職を求めての転職のはずが、退職後一年でまた方向転換することになった。以来、天職にこだわることなく、そのとき関心を持った職種で、転職をいくつか経験した。仕事の基本は生活を支えることなので、条件や待遇、続けられるように職場環境も重要だと思うようになったのは後の話。でも20代の頭でっかちでエネルギーのある時代だからこそ、経験できた一大転機だったなぁと恥ずかしくも懐かしく思い出すこのごろだ。